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講演会・学習会の概要 文責:事務局

消費者、命の再生産者の立場で考える

第4回「原発事故と私のくらし」連続学習交流会 話題提供

  ≪ 田邊凖也氏 話題提供 概要 ≫ 
 一ノ瀬さんが言われる、今私たちのくらしの見直しが必要じゃないかという提言に強く共感いたします。原発問題は非常に高度に専門的で、とても素人には関知できないテーマですから、専門的に、安全か安全でないかという議論をしても、どうしても負けてしまうところがあります。しかしこれは基本の命にかかわる、自分自身の問題ですから、決して専門家の皆さんに任せていい課題ではありません。
解決するのは消費者
 このテーマは、素人であるこの消費者の役割が大きいと思います。消費者が、食の問題に関心を持つのはごく当然で、命の問題を考えた時に、それは食の問題になります。消費者は命の問題に関して必死で、あいまいではなく、必ず主義主張を貫きます。やはり命のことになれば他人のことも考え、とりわけ子供のことを、自分の命以上に真剣に考えます。問題は、原発を推進している皆さんも消費者だということです。この皆さんが、自らが消費者であると理解をすれば、そう簡単に推進なんかできるとは思えません。そうでないのは本来の消費者の生活の価値観と、また別世界の価値観を持っているからだろうと思います。生産者は消費者の要求を積極的に受け止め、必死になって生産し、サービスを提供します。その結果、ある意味で豊かな生活が実現できています。ここで生産者同士の競争があることが問題になります。とどまるところを知らず、利潤を求めて競争はさらに激化します。生産者の立場からすると、企業として命がけでがんばります。ここで価値観の転換が起こります。このことから、この問題は消費者の問題になり、解決するのは消費者なのだという考えになるのではないかと思います。
 私はいわゆる高度経済成長期より、一貫して生協活動、消費者運動に関わってきて、消費者としてはどうあったらいいのかということを考えてきました。生産と消費のアンバランス、あるいは乖離はダメで、生産と消費をいかに結びつけるか、直結するかが大事でした。農産物なんかに関しては産直、産消提携という活動で、それを追及しました。一般食品については、コープという名前で、生産者・メーカーと力を合わせて、共通した商品を作ることをやってまいりました。そんなことを思い出しながら原発事故をまのあたりにして考えると、私はこの種の問題が全く新しい時代に入ったのではないかと考えます。
くらしのあり方、価値観を変える
 電気のないくらしを創造することは、くらしの価値観というものを転換するという意味合いで、非常にはっきりと問題を突きつけます。こういう自然エネルギーを大事にしよう、エネルギーを節約しようというのは、すでに1973年の石油危機のときやっています。石油がなくなると、従来のような生活はもう続けられません。生協でも節電はもちろんですが、店舗でノーサッカー、ノートレイ、その延長線上に環境にやさしい商品づくりだとか、農業をもっと見直そうなどの活動がどんどん広がりました。ただ、私が振り返って思うことですが、この運動、石油危機に伴う運動にはどこかに大きな落とし穴、弱点があったのではないかと思います。今までのくらしはそのまま維持したい、でも石油はなくなる、だから節約する、そういう論理だったと思います。今私たちがどうしても考えなきゃいけないのは、高度経済成長政策のもとで培われた、くらしのあり方、価値観をどこかで根本的に変えなきゃいけないというテーマじゃないかと思うのです。
 3・11東日本大震災・福島原発事故により、大きく私たちにインパクトを与えたことは、当たり前のくらしがしたいということでした。そして、それがどんなに豊かなくらし便利なくらしといっても、それよりも価値はあるとお互い理解しあったということです。「くらしの見直し」が、根本的に求められている時代に入り、高度経済成長のいわば終焉と、新しい社会の経済の始まりに入ったと思います。
原発はやめられるのか
 一般論で申し訳ありませんが、日本には憲法があり、国民が主権者だという考え方で貫かれています。その憲法を変えようという動きがあります。変えるという人たちは、何を考えているのか、私は今、日本の経済リードしている人たち、中でも原発を推進している人たちが、国民多数は自分達と違うようになってきて自分達の意見が通らなるという危機感から憲法を変えようとしているのではないかと理解をしています。憲法がある限り、原発はやめられると考えます。

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